2010-11-04

グラハム・ベル 空白の 12 日間の謎 (セス・シュルマン)

「グラムハム・ベル 空白の 12 日間の謎」(原題: The Telephone Gambit -- Chasing Alexander Graham Bell's Secret) を AMN ブッククラブ・キャンペーンで 日経 BP 社からプレゼントしてもらった。

ここで言う「12 日間」とは、書籍紹介を引用すると

ベルは (特許) 申請後もさまざまな試作機で実験を繰り返したがすべて失敗。それが2月26日から3月7日までのワシントン訪問後、突然、発明に成功しました。

この 1876-02-26 から 1876-03-07 までの 12 日間を指す。

グラハム・ベル空白の12日間の謎―今明かされる電話誕生の秘話
セス・シュルマン 吉田三知世

4822284395
日経BP社 2010-09-23

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作者 セス・シュルマン (Seth Shulman)

本書はノンフィクションであり、セス・シュルマン氏の約一年間の研究成果を物語風にまとめたもの。著者のシュルマン氏の本業はサイエンス・ライター。科学に関わる事柄を専門分野以外の人達に分かり易く噛み砕いて説明することをなりわいとする。掲載誌は Nature を始めとして The Atlantic、Discover など。

シュルマン氏は 2004 年から 2005 年の一年間、MIT のディブナー科学史研究所の居住サイエンス・ライター (特別研究員) として研究を行なった。最初はグラハム・ベルとトーマス・エジソンの二人を研究テーマに挙げていたらしいが、思わぬことからグラハム・ベルの研究一本に絞ることとなる。

ディブナー科学史研究所の特別研究員となったことは大きい。まず一つのテーマに絞って研究を行なえること。そして科学史を研究する学者と、研究室を並べて一緒に仕事ができること。その結果、多くの科学者らとの人的ネットワークを強く持てること。シュルマン氏の研究も (本書を読むと分かるが) 多くの科学史学者の協力があって成り立っている。

本書は、作者が学者ではなくサイエンス・ライターのためか、事実を並べるよりも物語風に話を膨らませた形で書かれている。しかし、37 ページに渡る「原注」が示すように、学術的な面が損われていることはない。

強いて言えば、少し冗長に過ぎる部分が多いかもしれない。しかし、その冗長と思われる部分もある時は伏線であったり、一部の科学者にとっては興味深い事実の描写だったりする。例えば、シュルマン氏の隣の部屋にはヘルムホルツの生涯と業積を研究しているデイヴィッド・カーハンが居て、顔をあげて、にこやかに挨拶してくれた。きっと、まだ仕事をしていたのは自分ひとりではなかったとわかって嬉しかったのだろう (p.81) という風に研究所の雰囲気を伝えている。一見たわいもない日常の一コマ。実はこれが伏線。後にカーハンはヘルムホルツが晩年アメリカにやってきたとき、ベルとヘルムホルツは実際に面会したという証拠をたまたま見つけた (p.104) といってシュルマン氏の部屋の扉を叩く、という風に繋がってくる。

個人的にはオベリン大学の書庫の描写が好き (p.194)。

大学の書庫は、キャンパスの中心に位置する背の低い要塞のようにも見える図書館の最上階にあり、参考調査掛 (レファレンス・デスク) の後ろにある、鍵付きのエレベーターでしか行けなかった。

大学時代に、書庫に入った時を思い出す。それも、もっと古い大学の書庫の描写なので、物理学者くずれのぼくには郷愁に似た想いさえ起こさせる。

空白の 12 日間の謎

本書のキモを簡単にまとめておく。

  • 1876-02-14 ベルの「電話」の特許が出願される
  • 1876-02-14 イライシャ・グレイの「電話」の特許保護願いが出願される
  • 1876-02-25 ベルはこの時点で「電話」の実験に一度も成功していなかった
  • 1876-02-26 ベル、ワシントンへ到着
  • 1876-03-07 ベル、ワシントンから戻る
  • 1876-03-08 ベル、液体送信機のアイデアをノートに書き留める
  • 1876-03-10 ベルと助手のワトソン、初めて「電話」に成功

ベルは電話機のキモとなる液体送信機のアイデアを思いつく前に特許を出願し、ワシントンへの旅の後、そのアイデアをノートに書き留めて「電話」の実験に成功する。ベルの「特許」に液体送信機の図はなく、後から手書きでベル自身の手で書かれた「説明書き」があった。現在、ベルの特許を認める理由は、この手書きのパラグラフだけとのこと。

つまり、ベルは「不思議なことに」、肝となるアイデアを実験ノートに書く前に「特許願書」に書いていた。しかも一番重要な部分であるにもかかわらず、そのアイデアは清書されず手書きで書き加えられている。また、この「特許願書」は三部作られたがイギリス向けの願書にこの「電話」の記述はない。

そして、作者シュルマンの最大の発見は、この実験ノートに書かれた液体送信機の図とそっくりなものが、イライシャ・グレイの特許保護願いの中に描かれている、ということ。当時、特許保護願いに出された内容は他の人間が見ることは出来なかった。

まるで、ベルが 12 日間のワシントン旅行でグレイの特許を盗み見したかのやうに思える。

この簡単な符号は、140 年に渡って誰にも知られることはなかった。シュルマンが読んだ実験ノートは 1976 年までベル家が所蔵し、1976 年からはワシントン DC のナショナル・ジオグラフィック本社の特別な部屋で保管されていた。1990 年になって、デジタル化されオンラインでの閲覧が可能となった。1976 年から 1990 年の間に、この実験ノートをまともに読んだ人間は、たった一人しかいなかったという。

あとがき

本書は、上に挙げた「疑惑」の解明を科学史的に検証している。つまり、一次資料に当たり、その資料がどこから来たのかを調査し、そして当時の状況を再現してゆくという手法を取っている。そして、「ベルが電話の開発者ではない」というショッキングな説を打ち出している。100 年もの間信じられていたものが「嘘」かもしれない。俄かには信じられない。でも、同じ手法でキーボードの Qwerty 配列について「Qwerty 配列はわざと遅くなるよう設計された」ことが事実でないと証明した例もある。思い込みを捨てて読んでみて欲しい。

なお、本書には、ベルの発明以前に多くの先例的研究があったこと。ベルの開発に疑いを持った人間は少くなく、複数の「疑惑論文」が刊行されていたこと (それらは本書の中でも重要な役割を果たしている。悲しいかな、その論文らがセンセーションを起こしたことはなかったけれど)。ベルが液体送信機の開発後、他のアイデアで電話機の開発に取り組んだことなど、「電話」史に興味があれば面白い話が入っている。

また、あまり知られていないベルの余生も書いてあるので、伝記的にも楽しめる。本書によると、ベルは「電話」からはすぐに身を引き、ダウド裁判 (事実上、ベルを電話の開発者として認めた裁判) でもほとんど積極的に参加していない。ベル電話会社 (今の AT & T) の株もほとんど手にしなかった。電話の開発後援者ガーディナー・ハバードの娘メイベルと結婚し、カナダで仲睦まじく暮らしたという。

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